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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和29年(タ)17号 判決 1957年12月27日

原告 土屋幸治

被告 土屋照子

主文

原告と被告とを離婚する。

原被告間の子幸雄(昭和二十八年六月十一日生)の親権者を被告と定める。

原告其の余の請求は之を棄却する。

訴訟費用は之を二分し、其の一を原告其の余を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は

第一次的請求の趣旨として

昭和二十八年五月四日横須賀市長に対する届出に依つてなした原告被告間の婚姻の無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。との判決

第二次的請求の趣旨として

原告と被告とを離婚する。原被告間の子幸雄の親権者を原告とする。被告は原告に対して金三十万円及び之に対する昭和三十一年一月二十一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求め、其の請求の原因として

(一)  原告は昭和二二年先妻寿美子に死去され後妻を迎えたいと思つていたものであるが、昭和二六年春頃訴外松永華子の紹介に依り被告を知り、被告の亡父は軍人で家庭もしつかりしているとのことであつたので被告と婚姻することになり同年四月一日原告側訴外永井潤二夫妻被告側訴外砂田栄夫妻の媒酌の許に結婚の式を挙げた。

しかして当時原告は直ちに婚姻届をするよう希望していたが、被告が前夫との干係(金銭的干係)の解決がついてからにして欲しいというので、やむを得ず届出は右解決后にするようにとて婚姻届に必要な書類を被告に交付しておいた。

(二)  ところが被告はなかなか右婚姻届をしないのみならず、右挙式同棲后も頻頻として、その実家である被告肩書住所に帰えり、遂に同年九月頃からは実家に帰つたまま帰宅しないので原告は度度上京し、被告の実家に赴いて被告に面会を申し込んだが被告の実家の者は之を拒否した。しかし訪問数十回にして被告が原告方え帰宅しない理由を知るに至つた。その理由というのは

(1)  原告が生命保険に加入していない。

(2)  原告が先妻の写真を仏壇に飾つている。

(3)  原告の家屋が原告の長男名義になつている。

ということであり、原告は之を知り大いに驚いたが事態を円満にまとめるため生命保険には加入する。亡妻の写真はとりはずすこととし、なお家屋は以前から原告名義である旨をよく説明したところ、これに対し被告も即刻入籍手続を採り今後は原告の妻として相協力して家庭生活を営むことを誓約して、同年十一月中旬漸く被告は原告方え戻つたのである。

(三)  そして其の後昭和二七年六月中旬頃まで、被告は原告方に居り大体事なきを得たのであるが、同年同月下旬頃、被告は実家え帰つたまま、健康が勝れずと称して帰宅せず、原告が健康が勝れないのならば横須賀の病院え入院するようにすすめたが、被告はこれを聞き入れず、同年八月上旬不健康の原因が蛔虫に依ることが判明しても依然実家に留つていた。しかしこれも原告の懇請に依つて同年九月中旬頃一旦原告方え帰宅したが、翌十月再び実家に戻り、原告が之を迎えに行つたが之に応ぜず、却つて原告の勤務先に対して電話を以て原告の給料等を問い合せたり、或は原告に対して送金を催促する等の態度に出たのである。そこで原告は万策つきて、被告側の媒酌人であつた訴外砂田栄に対して、円満解決方を依頼したが、事態は何等好転せず、遂に原告も右のような態度の被告とこれ以上夫婦関係を継続することのできないのを覚り被告との婚姻を諦めるに至つたのである。

そして原告は、婚姻届というものは、本籍地役場においてのみ受理されるものと考えていたところから、昭和二八年三月二五日原告の本籍地役場に対して、万一被告から原告との婚姻届がなされた場合はこれを受理しないよう通知を出したのである。

(四)  ところが、昭和二八年五月四日被告の実兄黒江輝雄外一名は、横須賀市役所逸見支所において、さきに原告が被告に交付しておいた婚姻届書に依つて婚姻届をしようとしたが、右届書は旧書式のものであつたので、係員から新書式に依つて届出をするように要求されたことから、同年同月十一日被告の母及び右兄弟等三名は原告の勤務先え押し寄せ、原告に対し新書式の届書に捺印するよう迫つた。しかし当時原告は前記のとおり被告と婚姻する意思が全くなかつたのでその旨を申し述べてこれを拒絶した。

ところが、その後調査したところによると被告等が如何様な口実を以てしたか原告には不明であるが、同年五月四日附をもつて原告と被告との婚姻届が受理されていることが判明したのである。しかしながら、右昭和二八年五月四日に受理された右婚姻届に因る原告と被告間の婚姻は、前記の事情からして全く原告の婚姻意思を欠く無効のものといわなければならない。

依つて、第一次的請求として右婚姻の無効なることの確認を求める。

(五)  仮りに右原告の婚姻無効の主張が失当であるとしても

(1)  被告は原告と挙式同棲以来前述の通り原告に対して妻としての同居義務を履行せず、今にして思えば被告が原告との夫婦干係を結んだ真の狙いは原告のわずかな財産にあつたのではないかとも考えられる状態であり前記(二)の(1) (2) (3) のことなど真に愛情で結ばれた夫婦の間においては到底想像もできない事柄であり、原告は被告との挙式当時は若干経済状態に恵まれていたが、その後勤務先の会社の解散等のことから、生活も苦しくなつたが被告に対しては出来得る限り物心両面において愛情を注ぎ、又先妻との間の子供に対しても被告を先妻同様母として慕う様十二分の配慮を尽してきたのであるが、被告は挙式同棲当初から原告方においては、恰も客人のように振舞い原告の家庭の人となるべく努力をしないのみならず、何かと口実を設けてはその実家え帰宅し原告と先妻との子供等に対して、母としてつとめる努力を欠いていたのである。

右(前記(一)乃至(五)の(1) )のような事情においては、被告の行態は民法第七七〇条所定の悪意の遺棄に該当するのみならず。

(2)  被告は更に昭和二九年五月原告の勤務先に対して原告が亡友の未亡人と以前から不貞干係にある旨虚構の事実を記載した葉書を連続して送り原告の名誉を毀損し間接に原告を脅迫したり、原告がさきに被告に対して夫婦干係調整の調停申立をなした際にも原告を侮辱し、その名誉をそこなうような出鱈目の内容を記した葉書を原告の勤務先え送る等の挙に出で、原告の社内における信用を毀損するなど到底妻としてあるまじき狂態をくりかえしたのである。

そして右の所為は民法第七七〇条第一項第一号所定の不貞の行為並びに同条第二項所定の婚姻を継続し難い重大な事由に該当するから原告はここに之を理由として被告との離婚を求めると共に右被告の原告に対する脅迫、侮辱、名誉毀損等の不法行為によつて多大の精神的損害をうけたので、とりあえず右損害賠償の一部として金二十五万円を請求すると共に被告との挙式費用として支出した費用金五万円とその後被告との同棲生活において被告のために支出した費用(一ケ月当り三千円以上)との合計額の一部金五万円の請求をする。そして右合計金三十万円に対する本件請求拡張申立の日である昭和三十一年一月二十一日以降右金員支払済に至るまで年五分の割合に依る金員の支払を求めるため本訴に及んだものであると陳述し

証拠として

甲第一乃至第四号証同第五号証の一、二同第六第七号証同第八第九号証の各一、二同第十一第十二号証の各一、二(第十号証は欠番)同第十三号証の一、二、三同第十四号証同第十五第十六第十七第十八第十九号証の各一、二同第二十号証乃至第三十号証を各提出し

証人田中義男同安西泰次郎同内山功同平川和夫同土屋緑同君島武彦同松永華子同永井久江同砂田仙同土屋鏡次同久田正美同久田愛同豊田隈雄並びに原告本人の各供述を援用した。

被告は原告の請求はいずれも之を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め

答弁として

(一)  原告主張の請求原因事実中

(1)  その(一)については、被告が原告に紹介されたのは原告主張のように昭和二六年春頃ではなく昭和二五年八月頃であり原被告は其の後八ケ月位交際をして、昭和二六年四月一日婚姻の式を挙げたものであり、又被告は婚姻当時前夫との間に名誉毀損の問題が起つていたので、それが解決しなければ結婚できない旨を原告に伝えていたのであるが、原告が再三涙ながらに是非結婚してほしい、前夫との問題解決には原告も助力すると懇願したため原告と婚姻したのである。

其の余の原告主張(一)の事実は之を認める。

(2)  原告主張(二)の事実は否認する。

(3)  原告主張(三)の事実中、原告が本籍地の役場に対してその主張のように被告からの婚姻届の受理拒絶を要請した事実は不知、その余の事実は否認する。

(4)  原告主張(四)について昭和二八年五月四日被告の兄黒江輝雄が横須賀市役所逸見支所においてさきに原告が被告に交付しておいた婚姻届書によつて届出をし同日附で婚姻届が受理された事実のみはこれを認めるが、その余の事実は否認する。昭和三一年五月一一日被告の母訴外黒江よね及び兄訴外黒江輝雄が原告の要請によつて、横須賀市の原告宅に赴いて原告に対して被告の入院の準備、手術の立会及び母子手帳の交付をうける手続をするよう交渉したところ、原告はその交渉途中において、仕事にかこつけてその場を逃げ去つたのである。

(5)  原告主張(五)の事実は全部否認する。

と答え

(二)  被告は原告と結婚後、原告方に原告とその先妻の子供四人とともに同居して生活を継続していたものであり、被告は東京の実家(東京都杉並区松の木町一二四三番地)には、昭和二六年九月から同年一一月までは流産後の体の衰弱を回復するため、昭和二七年七月から九月までは蛔虫のため同年一一月末から現在までは、長男幸雄妊娠出産のため帰えつたのであり、右三度とも原告の承諾を得て実家え戻つたのであり被告は挙式後ひんぴんと実家え帰えつたり、また原告からの面会の申込を拒絶したことはない。

(三)  昭和二七年一一月被告が実家え戻つたときの実情は次の通りである。即ち

この月に被告は二度目の妊娠をしたのであるが、横須賀共済病院で診察をうけていたところ、悪阻があまりひどかつたので、原告の承諾をうけて東京国立第一病院で診察をうけるため単身上京したのであるが、途中気分が悪くなり休みながらもやつと実家え辿りついたような状態であつたし又右診察の結果は、高年初産婦である上に逆子妊娠であるから入院して開腹手術をする必要があるとのことであつたので、つわりもひどいことから実家で静養することとし、原告もこれを承諾し医療費入院費及び出産費等の概算書を送つてくれれば送金をするとのことであつたから実家に滞在していたのであり、右のように当時までの原告は通常の夫としての態度を持つていたのである。

しかしながらその後原告は被告の前記諸費用の請求に対して一銭の送金もすることなく又直接見舞にくることはおろか、見舞の手紙をも余り寄越さなくなつたのである。それ故昭和二八年五月一一日には、前記よね及び輝雄の両名が原告を尋ね原告に対して被告が異状妊娠であり、知人の医長をしている国立第一病院で帝王切開の手術をしたいからその立会その他の準備をしてもらいたい旨を要求したのであるが原告はこれに対して誠意ある返事をしなかつた。

そして同年六月一一日国立第一病院で手術をうけた結果長男幸雄は無事出生したのであるが、被告は右手術後の静養のためと原告からの、「婚姻届については異議がある将来同居することは出来ない。」旨の申入のあつたことのためから其の後現在まで実家に留つて原告と別居の状態をつづけているのである。

(四)  昭和二八年五月四日に婚姻の届出をしたのは予め原告が被告え手交しておいた婚姻届書を、被告の兄輝雄と妹ひで子が持参して横須賀市役所逸見支所に提出してこれを受理されたものであつて全く合法的のものである。届出について当初原告は前夫との名誉毀損の問題が解決するまで婚姻届はしなくてもよい被告のすきな時にいつでも届出をするようにといつて婚姻届書を被告に渡しておいたのであるが、被告は長い年月のかかつた前夫との問題も片付かず一方長男幸雄の出生が迫つてきたので右のように届出をしたものである。

(五)  原告は右婚姻届は原告の婚姻意思が欠缺しているから無効であると主張しているが、原告はさきに被告と婚姻することを約し婚姻届書を被告に手交した上、現実に長年月に亘つて同棲生活を営んできたものであるから客観的には婚姻意思が欠缺していたとはいえない。また被告が原告から、婚姻をしないという趣旨の手紙を受領したのは、昭和二八年五月十六日の書面が最初であり右は婚姻届受理の日である同年五月四日以後であり、右によつてさかのぼつて婚姻の無効を来たすことにはならない筈である。要するに原告が婚姻届に異議を唱え始めたのは、届出後のことであるから、民法第七四二条に照しても、婚姻の無効を主張する原告の請求には理由がない。

(六)  なお被告は原告その家族友人等に手紙を出しているがこれらの手紙に書いてあることはいずれも真実であり、多少原告の名誉を損ずるような事実が書いてあつてもすべて原告の離婚の申立その他に対応したものであり従つて、将来原被告がその間に婚姻を継続してゆくのに何等の支障となるものではない。

従つて原告の予備的請求に係る離婚の請求も全く理由はない。

と主張し

証人黒江よね同黒江輝雄の各尋問を求めた。

理由

原告本人の供述証人黒江輝雄(一部)同黒江よね(一部)の供述に依りその成立を認める甲第十四号証並びに原告本人の供述によつて同じく成立を認める甲第一乃至第四号証更に証人黒江輝雄の供述(一部)によりその成立を認める甲第十三号証の一、二、三証人黒江よねの証言(一部)によつて成立を認める甲第十八号証の一、二同第二十六号証弁論の全趣旨によつてその成立を認める甲第五号証の二同第六乃至第十二号証の各記載と証人内山功同安西泰次郎同田中義男同平川和夫同松永華子同久田正美同砂田仙同土屋鏡次同永井久江同久田愛同土屋緑同君嶋武彦同黒江輝雄(一部)黒江よね(一部)同豊田隈雄の各証言並びに原告本人の供述に、本件口頭弁論の全趣旨を綜合すれば、

(一)  原告と被告とは、訴外永井潤二夫妻並びに同砂田栄夫妻の媒酌によつて、昭和二十六年四月一日結婚の式を挙げ、夫である原告の住所において夫婦として同棲生活を始めたのであるが、もともと原告は旧日本海軍の海軍大佐であり先妻を昭和二十二年七月に亡くし、その間に子女四人を抱え、終戦後は商事会社に勤務し経済的にも比較的恵まれた家庭生活を営んでいたものであり、一方被告は訴外山本某との結婚生活に破れ縁あつて原告と結婚生活に入つたのであるが、前夫山本との離婚に関して種種未解決の問題を残してあつたため、原被告双方は即時に婚姻届を出すことを留保し被告とその前夫との離婚についての諸問題解決後に婚姻届をすることとし、夫である原告において署名押印をした、原告の氏を称する婚姻届書を挙式直後原告から被告え交付し、前記被告側の諸問題解決後適宜被告において婚姻届をすることとして、前記のように婚姻生活に入つたこと。

(二)  そして、右のように被告側には前夫との問題解決の残つていた関係もあつて、被告の母訴外黒江よねから予め原告に対して被告が時折実家え立戻ることもある旨の了解を得ていたこともあつたところから、被告は同棲生活をはじめた当初は毎月一、二回その実家である被告肩書住所へ戻つたこともあつたが、とにかく昭和二十六年四月から同年八月頃までは被告は実家え戻つてたとはいえ約束の日におくれても婚家へ戻り表面上は夫婦円満に生活をしていたのであるが、(もつとも被告は原告及び原告の子女の努力にも拘らず、恰も客に来たもののような態度で原告家において生活し原告とはともかく原告の子女等とは全く打とけずに生活していた)その頃から原告の勤務する会社が経営不振となつて閉鎖の止むなきにいたつたということもあつたためか、徐徐に夫婦生活の円満を欠くようになり、同年九月十五日には、実家の母よねからの呼出しの手紙で三日位後には帰宅するといつて実家へ戻つたまま、約束の日に帰らず、再三再四の原告の帰宅の催促に対しては人工流産後の疲労回復のためと称してこれを素直にきき入れず、数回に亘つて原告は被告の実家を訪れたが被告の兄輝雄その他の家人から態よく被告との面会を拒否され、そのうち同年十二月に至つても戻らないところから原告は被告をその実家に訪れようやく被告に面会することができたところ、被告は(1) 原告が生命保険に加入していない。(2) 亡妻の写真を仏壇に飾つてある。(3) 原告の住家が原告と先妻との長男名義になつている。との三つの理由を挙げて離婚を求めたのであるが、原告は被告の兄訴外黒江輝雄の反対をも押しのけて直接被告にいろいろ説得し、右(1) (2) は原告において直ちに被告の希望に添つてこれを行うこと、右(3) は被告の誤解であり、もともと原告の住家は原告名義であることを約束且つ説明した結果、ようやく被告はこれを了として原告宅へ戻ることを納得し、同月十五日に帰宅したこと。

(三)  その後同年から翌二十七年六月頃までは、被告は月に一回位宛実家へ戻つたことはあつたが、円満に夫婦生活を続けていたのであるが、同年六月末に被告は原告に無断で実家へ戻り、後刻手紙で二、三日後には帰宅すると申寄越し、原告の問合せに対しては、胸部疾患のための静養と受診とのために戻つて来た旨を答え、原告からのもしそうであるならば横須賀へ戻つて来て診療をうけるようにとの来信に対しても、体の悪いのは胸部疾患ではなく蛔虫のためだと称して依然として帰宅をしないまま実家に滞在し、ようやく同年九月十九日に至つて原告宅へ帰つて来たような状態であつた。そして、原告との同棲生活の間にあつても、原告と先妻との間の子女に対して、父である原告の悪口をしばしば口にしたり又右子女の身廻りについては何等世話をしないというような状態であり、更に同年十月に入るや、再び原告宅を立出でて実家に戻つたが、出張に行く原告からの留守番の依頼をうけると漸く原告宅へ戻つて来たが、その原告出張不在の間にも、原告の子女と些細なことで口論をしこれを叱りつける等の所為があり、原告の帰宅後は原告の謝罪に耳もかさず直ちに実家へ赴いてしまい妊娠に因るつわりがひどいとの理由等からして別居の状態をつづけるというような状態であつた。

そして、当時長男幸雄を妊娠していた関係もあつてか、原告の帰宅の要請に応じないで、その間直接原告の勤務先へ葉書を以て原告の給料額を確めたり原告え出産費用の要求を一方的になしたりし果ては媒酌人方え原告が花房という原告の亡友の夫人となにか道ならぬ関係のあるような虚偽の申出をしたりして、ひたすら原告個人の名誉とか社会的信用を墜すような所為を続けてきたこと。

(四)  このような状態のまま原告においても被告と夫婦生活を諦めたまま荏苒日を過しているうち、昭和二十八年五月に入るや、いよいよ長男幸雄の分娩出生も近ずくや、被告並びにその母よね及び兄輝雄は、母子手帳の名義等のこともあり、原告と被告との婚姻届の必要を感じ、同年五月四日、さきに原告から交付をうけていた婚姻届書に所要の記載をして、横須賀市役所逸見支所に夫である原告の氏を称する原被告の婚姻届を提出し即日受理されたのであるが、これよりさき昭和二十八年三月二十五日原告は前記のような原被告間の夫婦生活の現状を思い、到底被告とともに今後夫婦として生活して行くことの不幸なことに思いをいたし被告との婚姻を断念することに意を決した結果、被告に託してあつた前記婚姻届書に依つて被告が原告との婚姻届をすることを阻止するため、原告の本籍地の戸籍事務管掌者(原告は当時婚姻届は原告の本籍地の戸籍事務管掌者においてのみ受理できるものと考えていた)である新潟県岩船郡村上町長に対して、戸籍移動保留の件と題する書面を送付して、被告との婚姻届の受理を保留して貰いたい旨を申出ておいたのであるが事前に直接被告に対しては勿論住所地の戸籍事務管掌者に対しては何等の処置をしておかなかつたこと。

(五)  以上のような事態の推移のまま、即ち原告は被告との離婚を決意したことから、被告からの出産要求に応ぜず、一方被告もこれに応ずるかのように、原告が出産費を送付しなかつたことから全く感情的に相対立したまま同年六月十一日被告は原告の長男幸雄を分娩し、その後も昭和二十九年五月に入るや、原告の勤務先である田中商事株式会社内の原告宛に殆んど連日のように自分の子供に名前もつけず逃げかくれするとは卑怯であるとか、原告が他に未亡人と情交関係のあることを思わせるようなことを記載した葉書を送り両者互に対立したまま現在に至つていること。そして右幸雄については分娩後現在まで母である被告において引続き原告の扶助なく監護していること。

という諸事実を認めることができる。右認定に反する証人黒江輝雄同黒江よねの供述の一部は措信しない。

そして、右認定の事実からすれば、原告の第一次的請求である前記届出に依る婚姻が無効といえないことは明かであるから、この点についての原告の請求は之を失当として棄却すべきものである。

しかしながら、前記認定の諸事実(挙式同棲後婚姻届出前までの事実及び婚姻届出後現在までの事実すべてを含む)からすれば原被告間の婚姻生活については、民法第七七〇条第一項第五号に所謂「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するものというのを妨げない。

したがつて、これを理由とする原告の本訴第二次的請求である離婚の請求はこれを正当として認容すべきものである。

そしてこれに伴つて、原被告間の長男である前記幸雄の親権者を原告被告のいずれにすべきかについて按ずるのに、同児が幼児であること、その他前記認定の各事実からみれば母である被告をその親権者として指定するのが安当な処置と思われるので、母である被告をその親権者として指定する。

次に原告の被告に対する慰藉料の請求について按ずるのに前記認定事実からみれば被告の所為については、いささか不穏当なそして狂態とも思われる面の存することはいなめないが、他人の間ならいざしらず、挙式同棲に及び、その間に子供まで儲けた夫婦の間において妻である被告が感情的な対立の果右のような所為に出たことを以て不法行為として、これに対し侮辱あるいは名誉毀損による損害賠償責任を被告に対して認めるのは、その行為の違法性の点において、未だ不充分なものがあるといわなければならない。従つて原告の慰藉料の請求は理由がないものとして、棄却を免れない。

最後に原告の挙式費用及び被告との同棲生活により原告が被告のために一ケ月金三千円以上出費した費用のうちの一部との合計金五万円の請求については、原告において何等立証するところがないばかりでなく、もし右事実があつたとしても挙式費用及び同棲生活による被告のための出費については、その前提として、夫婦間の婚姻費用或は挙式費用についての約定のあるときはそれにより、それのないときはその分担は民法第七六〇条に従つて、夫婦各自の資産、収入その他一切の事情を考慮してこれを定めるべきであるが、本件において特にこの点について約定のあつたことは双方の主張立証しないところであり、前記認定事実からすれば、いずれも夫である原告において負担すべきものと認めるべきであるからこの意味からしても、原告の右請求は失当たるを免れない。

以上の理由に依つて、民事訴訟法第九十二条本文、人事訴訟手続法第十五条を各適用して主文の通り判決をする。

(裁判官 安藤覚)

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